午睡

部屋の隅に座っている男。
それを熱心に眺める少女。
コールタールのようにねっとりと流れる時間。
桜舞う。桜舞う。桜が舞って鬼が来る。
あれ? 今は夜だっけ?
いいえ、それは春の午後。
桃色の大気の中を黒い桜が舞っている。


気がつくと男は立ち上がっていた。
あれ? いつの間に立ったんだっけ?
違った、違った。
部屋が座っただけでした。
立ってた部屋が座ったから、相対的に男が立ったように見えただけだったんだね。
男がゆっくりと歩いてくる。
桜の花びらを纏いながらゆっくり歩いてくる。
だけど、不思議だね。
花びらは舞っているのに木はどこにもないんだ。
四畳半の狭い部屋に桜吹雪が吹き起こる。

男は27分かけて四畳半の部屋の真ん中に辿り着いた。
√(1.5^2+1.5^2)/27*60[畳/h]の速度で歩いてきたことになるね。
男がシュルシュルとベルトを外す。
掃除機で吸われているようにずっと男を眺めている少女の目。
男は慣れた手つきで、ベルトを頭上で舞う桜の花びらに括りつけた。
すると不思議なことに、舞っていた桜の花びらがまるで固定されたかのようにピタリと止まったんだ。
物理で言うところの「動いている矢は止まってる」ってやつだね。
男はゆっくりと首を吊った。
つまり√(1.5^2+1.5^2)/27*60[畳/h]の速度で首を吊った。
芋虫のように這い回る紫色の舌を少女はじっと見る。
やがて、芋虫はゴムになり、それから冬の鉄鉱石になった。
少女は静かに男に近づき、男の右手にほおずりをする。
きっと寂しかったんだろうね。
そして楽しくって、痛くって、暑かったんだと思うなぁ。
だから、少女は口を開けたんだ。
その中には燃え盛る炎があり、桜吹雪があり、狂った闘牛士も、熟れたザクロも、とにかくいろいろなものがあった。
勿論赤い芋虫もいたよ。
人間の内部は「全部」だもんね。

誰か瞬きをした。男の死体だったかもしれないし、桜の花がしたのかもしれない。
ただ、その一瞬に少女の小さな歯は男の指を全て噛み千切っていた。
男の手からサラサラと流れ落ちる灰色の砂。
流れ落ちた虚無は少女をドロドロに溶かし、部屋中を埋め尽くしてゆく。
遂に虚無が天井に届き、圧力に耐えかねた壁が弾けとんだ。
次の瞬間、部屋も、男の死体も、少女も、その姿を光る桜の花びらに変えた虚無に紛れて消えてしまったのでした。