魚と猫と犬

−魚−


「で、それのどこが変なんだい?」

「どう考えても変でしょう。 犬なのに魚を食べるわけですよ」

「たしかに一般的には犬より猫の方が魚好きのイメージがある。 しかし、だからといって犬は食べないとは限らないだろう?」

「いや、犬は食べません」

「犬だって食べるでしょう。 たしかに一般的には犬よりも魚を食べるというイメージある。 しかし、だからといって犬は食べないとは限らないだろう?」

「つまり先生は犬を贔屓するわけですな」

「そうは言ってないよ。 あくまでそういう可能性もあるという話だ」

「なんですか、先生がそうやって患者を贔屓してよいものなんでしょうか?」

「知らず知らずのうちに個人的感情が入るのはよくあることです。 仕方ないでしょう…」

「つまりですね、先生は私にも骨折で入院している犬養さんにも分け隔てなく食事を出していただきたいわけです」

「ようするに、魚だけでなく犬養さんも出せということかね?」

「そうなりますね」

「犬養さんは捌くのが大変なんだよ」

「先生はそうやってすぐ議論を摩り替える。 大変大変じゃない、ではなくて差別せずにやるべきなのですよ」

「そりゃ、するのは構わないが……第一やる場所がないじゃないか」

「探せばこの辺にも結構あるものですよ。 ほら、椿通りのカラオケ屋を曲がった先にもあるでしょう」

「あるにはあるが、そこが犬養さんの家とは限りますまい?」

「それが贔屓というんですよ。 犬養さんの家でもそうでない家でも差別するべきじゃないはずです」

「私がその家に帰るとして、君の方はどうするんだい? 犬の予定は決まったが猫のレポートはまだなのかい?」

「明日、先生が来るまでには仕上げておきますよ」

「ふむ、わかった。 それではまた明日会うとしよう」

「例の件お願いしますね」

「わかっているよ」

私は不快さを表に出して苦笑すると事務室を後にした。



−猫−


以下、レポート

天気、曇り。
起きた時には11時を過ぎていた。
今日の昼食は焼き魚と煮物、ご飯、汁物、小鉢2つである。
栄養は問題ない。
やはり、魚が目立つ。
もう飽き飽きだが、犬に取られるのはシャクである。
目をTVに移す。
男女の関係を描いた白黒映画を放送していたが、すぐに興味を失った。

それにしても自身のレポートというのは厄介極まりない。
なかなか思ったようにいかないものである。
壁にかかった時計に目を移すと、短針が1の文字を指していた。
事務室で魚と会う約束もあるし、続きは帰ってきてから書くことにしよう。
明日、手術が始まる前に出せばよいだろう。



−犬−


手術が始まってまだ十数分しかたっていない。
先生が助手に何か話しかけている。

「朝受け取ったレポートだが、なかなか良いできだったよ」
「先生、本当に見たんですか?」

カチャカチャとメスが音を立てる。
骨折した足ともう一方の健康な足を繋ぎ変える手術。
深夜の病院は静まり返り、窓の外ではフクロウが下水管の中の渦のような声で鳴いている。
隣にカラオケ屋があるのだが、今日はその歌声も聞こえてこない。
だが、先生のウデは確かだ。 怖がることはない。

それよりも魚が食べたい。
いつも猫に横取りされるから、今回は麻酔なしの手術でしっかりと監視することにしたのだ。
もし、猫が魚を奪おうとしたら、その場でかみ殺してやるつもりだ。
大丈夫、骨折した足は一本だし、この距離なら逃がしはしない。
猫もそれを警戒してか、今のところそれらしい動きは見せていない。

唐突に眠気が襲った。
おかしい…麻酔は使わなかったはずなのに非常に眠い…。
寝たら、魚は猫に横取りされるだろう。
横を向いた顔を涙が伝う。
魚が食べたい…。
眠る直前、魚を食べようと箸をつけたら骨と皮だけ残してドロドロに溶けてしまう夢を見た。
閉じた瞼の先でムシャムシャと音が聞こえてくる。
目が覚める頃には、誰もいなくなった病院に血の付着した骨だけが散らばっていることだろう。
濁った思考は、夢で見た溶けた魚のように闇へと消えていった。