食罪(テキストバージョン)

この作品はノベルゲームの方を前提に作成しています。
テキスト用に手直ししたものの、場面切り替わり等に若干おかしな部分が残っています。
ご了承下さい。

がたんごとん……がたんごとん……。
がたんごとん……がたんごとん……。


がたんごとん……がたんごとん……。
がたんごとん……がたんごとん……。


体が揺れている。
まるでドラムの上に座ってるかのように、定期的なリズムにのって体が揺れている。
それは眠気を増長させ、僕を再び闇に引き戻そうとする。
意識を闇の中に落としてゆく。

体は起きることを拒んでおり、覚醒しかけた意識 は急速に闇に吸いこまれてゆく。
抗う理由など、どこにもない。
僕は再び無明の闇の中へ落ちてゆくことにした。


がたんごとん……がたんごとん……。
がたんごとん……がたんごとん……。


がたんごとん……がたんごとん……。
がたんごとん……がたんごとん……。


かくん…。


「…ん……」

重たい目蓋を無理やりこじ開け、辺りを見渡した。
光に晒された眼球を守ろうと、目蓋がわずかに痙攣する。
いつの間にか眠ってしまったようである。
顎の跡が真っ赤についた左手を見ながら大きく欠伸をする。

「…どうやら汽車はトンネルを走ってるようだな」

眠気というフィルターのかかった頭で認識する世界は、まるでこちらが夢の中のようである。


「すいません、切符いいですか?」

不意に後ろから声を掛けられた。
寝ぼけ眼をこすり、左のポケットを探り財布の中から切符を出す。

「はい、結構です」

四十代くらいだろうか?
人当たりのよさそうな車掌が切符を返す。

頭がぼーっとする。
何かとても長い夢を見ていた気がしてならない。

まぁ良い、起きてしまえば夢は意味をなさない。
そこにあるのは夢を見たという事実だけで十分である。
僕は軽く頭を揺り、断片的に脳に引っかかっていた夢の欠片を振り払った。

固まっていた首の間接がぽきぽきなる。
どこか遠くからポーと汽笛が聞こえてきた。


「あと、どのくらいですかねぇ?」

車掌に尋ねた。

「そうですね、このトンネルを抜けたらすぐですよ」


う〜ん、と伸びをする。
永い間椅子に座っていたせいで、すかっり錆びついてしまった体が、おかしな音を立てながら稼動を始める。

時刻は十時をまわってるだろうか?
トンネルの中のためか時間がよくわからない。
ぐぅっという腹の音で夕食を食べてないことに気がついた。

「食事をとる時間はありますかね?」
「はい、十分にありますよ」
「うむ」

食堂車で食事を取ることにした。
もう一度伸びをしてから、まだ十分に動かない足を無理やり動かして食堂に向かってゆく。

車掌は軽く会釈をすると、逆方向へ歩いていき闇に吸い込まれていった。








覚醒してない頭を揺らしながら汽車の中を歩いていると、見知った顔をみつけた。

「やぁ、先生、久しぶりです」

中学で教えている生徒である。
その生徒は病気を患っており、二学期の後半から学校を休んでいた。

「ああ、元気だったか?」

僕が尋ねると少年は苦笑して答えた。

「先生も乗っていらしたのですね。 いったいどこへ向かうところで?」
「食堂車で夕食をと思ってね。 よかったら一緒にどうだい?」
「いえ、僕はもう済ませましたから。 それにそろそろ降りないといけませんので」
「そうか、残念だな」
「はい…、それでは失礼します」

少年は軽く会釈をすると、すぅーと消えていった。
僕は少年がいたところに別れを告げ、食堂車の方へ歩いていった。




がたんごとん……がたんごとん……。
がたんごとん……がたんごとん……。


がたんごとん……がたんごとん……。
がたんごとん……がたんごとん……。


車輪の揺れに同調しながら歩いてゆく。
暫く歩いてゆくと食堂車の入り口が見えてきた。
食堂車の前に立ち、横開きのドアに手をかけ開こうとする。

ふと、どこからかにゃーという鳴き声が耳に飛び込んできた。
背後を振り向くと、そこには昔飼ってた猫が座っていた。

「最近見かけないと思ったら、こんなところにいたのか……」

はて、何で見なかったのだろうか?
幽かな疑問が頭によぎる。

猫がにゃーっと鳴いて擦り寄ってくる。
僕は頭にわずかなしこりを残したまま、猫を抱き上げ頭を撫でてやった。
猫は喉をゴロゴロとならして返事を返してくる。

僕は暫くの間猫を撫でた後、別れを告げ食堂車に入っていった。








食堂は空だった。
暫く待っていると奥からウエイターがすまなそうな顔で出てきた。

「まだ、時間大丈夫だよね?」

少しむっとした口調で私が尋ねると、ウエイターはお詫びをしながら頷いた。

メニューの中から適当に無難そうなものを選んでゆく。
すまなそうに注文をとると、ウエイターは再び闇に飲み込まれていった。


窓に顔を張り付けて、トンネル前方を覗ってみる。
なんとか半円と確認できる白い光が、遥か前方に見えた。

「あれ? 夜じゃなかったのか……」

時計を探してみるが見当たらない。
まぁいい、時間なんてどうでも良いことである。

後ろを振り返り、トンネルの入り口を見ると完全な闇だった。
通り過ぎた線路は闇に飲まれ、その形はもう確認することもできない。

不意に恐怖を覚え、僕は再び前方を向く。

黒の中、只一つの白い半円。
それはこの曖昧な世界で唯一確かなもののように見えた。
白い世界が黒い壁に切り取られているのか、黒い世界に白い壁があるのかすらわからなくなり、
僕は窓から顔を離した。




暫くすると、ウエイターが奥からお皿を持ってやってきた。
一品目はスープだった。

「これはなんて料理だい?」

僕は水の中で溺れ死んでいる沢山の飛蝗を指差して尋ねた。

「『水の中で溺れ死んでいる沢山の飛蝗』で御座居ます」

なるほど、見たまんまだな。

スプーンで一口掬い、口に入れてみる。
とても苦い嫌な味がした。
それでも、それは自分に必要な気がして『水の中で溺れ死んでいる沢山の飛蝗』を平らげた。

ウエイターが皿を下げ、新しい皿を持ってくる。
車に轢かれた犬のような料理だった。

「『車に轢かれた犬』で御座居ます」

また見たまんまだった。
そして、やはりとても苦い嫌な味だった。

また次の皿を持ってくる。
僕はそれらを、咽りながら押し込んでゆく。
そうして何皿目の料理だっただろうか。

「奈美子で御座居ます」

皿にのった顔は、涙、鼻水、唾液、血、ありとあ らゆる液体を垂れ流してこちらを向いていた。

恐怖に引きつった顔。
苦しみで歪んだ顔。
どこかで見た顔。
けれど思い出せない顔。


首に絡まった紐を解き、ゆっくりと一口目を口に入れて行く。
凄まじい苦味で思わず吐きそうになる。
ウエイターが優しく背中を擦ってくれ、ようやく嚥下できた。

なぜ、忘れていたのだろうか?
過去に一度味わったことがある苦味。

僕は涙しながら、次々と口に運んで行く。
胃が痙攣し胃液が逆流する。
それでも、逆流した胃液を飲み込みながら食べてゆく。
食道が腫れて血が噴き出す。

それでも僕は泣きながら口に運んでいく。
それは忘れてはいけない味だから。

何十分、何時間、何日、食べ続けただろうか。
ようやくそれを食べ終えた。

口の中にのこった、嘔吐物と血を水で洗い流して一息ついた。
ウエイターはいつの間にか消えていた。








水をもう一度口に含んで、窓の外を眺めてみた。

白い半円はだいぶ大きくなっている。
きっと、あと少しでトンネルを抜けられるろう。

そして、僕はどこへ向かうのだろうか?
この汽車はどこへ向かっているのだろうか?
僕はどうなるのだろうか?
僕は…。 僕…。 ……。 …。




トンネルの中には数々の星が光り輝いている。
遠く、鷲座のアルタイルの側に流れ星を見た。

「綺麗……」

純粋にそう思った。
星を見て感動したことなどなかったのに。

いや、あったか…。
遠い昔、自分にも星を見て感動していた時期があった。
それはあまりに遠く、もう決して戻れない時期。

小学生の頃だっただろうか。
どす黒く渦巻く脳味噌の中から記憶の光を辿ってゆく。

僕は童心に戻り、じっと星を眺めていた。
いつのまにか自分の中の不純物は消えていた。




後ろから声を掛けられた。

「綺麗でしょう?もうすぐ終点ですよ」

振りかえると車掌が立っていた。

「この汽車は銀河鉄道だったんですね?」
「ははは、宮沢賢治ですか? 似たようなものですけど、ちょっと違います。 あれはマリンスノーです」
「…そうですか、綺麗ですね」

アルタイルは流れ星と一緒に落ちてゆく。
汽車も負けじと下に向かって走って行く。

窓の外に大きな魚が見えた。

「なんて魚ですか?」
「さぁ、わかりません。 名前なんて関係ないですし……」
「そうですね」

僕は窓を開け、七色に輝く魚に手を伸ばしてみる。

「あっ」
「食べられちゃいましたね」

右手の小指は根元からなくなっていた。

「小指ですから大丈夫ですよ、親指や人差し指なら不便ですけど」

にこにこした笑みのまま車掌が話し掛けてくる。
確かに、その通りだと思った。

「それに、もうすぐいらなくなりますし……」


残っていた水を飲みほして僕は尋ねた。

「トンネル長いですね」
「出口が見えてても、なかなか出られないものでしょう? でも、あと少しで出られますよ」

そう言って、車掌は再び闇に解けていった。
白い光はすぐそこまで来ていた。

僕はきっと海底について化石になるのだろう……。
化石となって何千年も何万年も、悠久の時間を静かに眠ってゆくのだろう……。
それはとても安らかなことに思えた。








闇の中からウエイターが最後の皿を持って現れた。
なにやら、複雑な顔つきである。

皿を除くと、驚くほど醜い男の首がのっていた。
見ているだけで吐き気がしてくる毒々しい男の顔。

「これは食べたくない。 下げてくれ」

ウエイターは首を横に振り、食べるように催促してくる。

しかし、食べる食べないは僕の勝手ではないだろうか?
そして、僕はこれを食べたくない。
ウエイターに向かって再度言う。

「食べたくないんだ。 下げてくれ」

相変わらずウエイターは首を振り、食べろと言ってくる。

僕は食事を終えることにした。
最後に皿をもう一度見て席を立った。
背後にはいつまでも悲しそうな顔で僕の後姿を眺めている、ウエイターの姿があった。




食堂車両を出るとそこは食堂車両だった。

僕は席に着き、ウエイターに夕食を注文する。
あのウエイターは、どうしてあんな悲しそうな顔をしているのだろう。

ウエイターは奥に引っ込むと暫くして皿を持って現れた。
皿には醜い男の首がのっていた。
喉の奥から胃液が逆流してくる。

僕は席を立ち、食堂車を後にした。




食堂車を出るとそこは食堂車だった。
僕は席に着き、悲しそうな顔で立っているウエイターに夕食を注文する。

ウエイターは奥に引っ込むと暫くして皿を持って現れた。
皿には醜い男の首がのっていた。
吐き気を催す禍々しい男の顔。

僕は席を立とうとして、そして思い直した。


再び座りなおして、男の頭にスプーンを入れる。
頭蓋骨を掻き分け、その毒色の脳味噌をスプーンで取り出した。
それを口に入れ、舌でゆっくりと潰す。
苦味で顔を歪めながら、なんとか飲み込む。

「苦いですね」
「そうですか、お客様にはそう感じますか」

ウエイターは悲しそうな顔で返してきた。

僕は苦味で痙攣する手で、無理やり二口目を口に捩じ込んだ。
逆流する胃液と共にそれを飲み込んでゆく。
毒色の脳味噌は、気管を傷つけながら胃に落ちていった。
それは胃の中でも暫く暴れまわっている。

脂汗が滝のように流れている。
足ががたがたと振るえている。

それでも手だけは止めないで動かしていった。
皿は中身は一向に減っていないように思える。
だが、食べ続ければいずれなくなるはずである。

手はゆっくりゆっくり、けれど決して止まることなく動いている。
少しずつ、本当に少しずつだが料理は徐々に減ってゆく。

そうしてたっぷりと時間をかけて僕はそのメニューを食べていった。

「ふぅ…」

額の脂汗を拭い、水を飲んで一息入れる。
永遠ともいえる時間をかけて、僕はメニューを平らげた。


夕食は終わったのだ。
あとは汽車がトンネルを抜けるだけある。
終わりの時間は、きっとすぐそこまで来ていることだろう。

ウエイターが横からハンカチを差し出す。
一度拭った汗を再度拭おうとして、僕は自分が泣いていることに気がついた。
それは心地よい涙で、まるで幼年期に戻ったようだった。

僕の心は洗われたのだろうか?
僕の罪は償われたのだろうか?




ハンカチを受け取ると、ウエイターは徐々に薄くなりやがて消えてしまった。
僕はそれを呆けて見ていた。

ふと、我に返る。
消えてしまってから気がついた。
彼には悪いことしてしまった気がする。

「すまなかった。 そしてありがとう」

僕は何もない空間にに向けてお礼を呟いた。




トンネルが白くなり、出口が目の前であることを告げていた。
後ろから車掌の声が聞こえてくる。

「もう、出口ですね」
「そうですね。今まで、どうもありがとう御座いました」
「いえいえ、それが勤めですから」
「そうですか…」

「それでは勤めも終わりましたし、私は消えるとしますか」
「はい、本当にありがとう御座居ました」
「では、ごきげんよう…」

車掌は優しい声で別れを告げて消滅した。


がたんごとん……がたんごとん……。
がたんごとん……がたんごとん……。


汽車はスピードを上げて光に向かって行く。
すでに半円ではなくなった光は目の前にあり、僕を優しく包んでいく。

ウエイターが消え、車掌が消え、汽車が消えてゆく。
すべてが白い光に包まれて消えてゆく。

そして、汽車はトンネルを抜けた。


光が満ちて、

永いトンネルを抜け、

汽車は終着駅についた。








ちりんちりーん……。
ちりんちりーん……。


みーんみんみんみん……。
みーんみんみんみん……。


四角い部屋に二つのオブジェ。
床に転がっている女の死体。
天井からぶら下がってる男の死体。


「容疑者は自殺と…」

青い服の男がノートをとっている。

「恋人同士みたいですね。 かっーとなった男が女の首を締めて、その後自殺したってとこですか?」

別の青い服の男が尋ねる。

「そんなとこだろう」

煙草に火をつけながら、気だるそうに青い服の男が答える。


ちりんちりーん……。
ちりんちりーん……。


風鈴の爽やかさは、僅かに香り始めた死臭で消されてゆく。
寧ろそれは、ブンブンと五月蝿く飛び回る蝿の音を強調させ、暑さを増すくらいである。

男が口を開く。

「かわいそうですね」
「どっちがだ?」
「両方ですよ」


ちりんちりーん……。
ちりんちりーん……。


かなかなかなかなかな……。
かなかなかなかなかな……。


外を見ると夜の帳が降り始めている。
うだるような暑さは完全にひき、既に空気は夜の冷気を含んでいた。

豆腐屋の笛の音に混ざり、遠くからガタンゴトンという汽車の音が聞こえてくる。

男の吐いた紫煙は窓から外に出、黄昏の中に消えていく。
男は携帯用灰皿で煙草をもみ消すと、もうひとりの男と共に現場から離れていった。

部屋にはまだ、数人の男が残っている。
ふたつのオブジェはビニールに包まれ、もう見ることができない。




ポー。

遠くから夜風に乗って汽笛が聞こえてくる。

汽車は日々走り続ける。

彼らの終着駅はまだ遠い。

しかし、それはいずれやって来るだろう。

そのとき、彼らは何を見るのだろうか。